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ガンダム ジークアクス 最終回まで見た感想

アニメ批評

機動戦士Gundam GQuuuuuuXを全話見終えました。

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ガンダムにセカイ系が組み込まれたような作品

ジークアクスを見終えた個人的な感想としては、マチュ、ニャアン、シュウジを取り巻く部分だけセカイ系作品のようなっていて、「シン・セカイ系」とでも呼ぶような印象を受けたアニメでした。

ジークアクスやジフレドはMSというよりエヴァンゲリオンみたいな感じですし、マチュやニャアンの感情や葛藤がストーリー全体を動かしたようでした。

ただ、ストーリーが終盤に行くに連れて序盤のクランバトルのどうでもよさが強くなってきたのは否めません。

この作品では戦争はしていない

ジークアクスでは戦争はビギニング編でしかしておらずマチュが登場する部分では戦争は全くしていません。

原作の富野由悠季監督は、庵野さんや鶴巻さんのような世代は第二次世界大戦を経験しておらず、戦争を知らない世代が作った作品だと指摘しています。

マチュやニャアンというのはまさにそのような存在で、1年戦争の記憶がほとんどないように感じます。だからクランバトルができる。

エンディミオンユニット(アムロ)の、「僕はもう見たくない、またガンダムがララァを殺す光景を」という台詞ですが、シャロンの薔薇にいるララァはシャアが自分をかばって死ぬ世界線であり、このエンディミオンユニットはガンダムの正史(ララァがシャアをかばって死ぬ)世界線のアムロの意思です。

この台詞は、富野さんの「戦争を知らない世代」という言葉に対する鶴巻さんや榎戸さん達の答え。「だとしても、もう第二次世界大戦のような戦争は起こってほしくない」という意味なのでしょう。

感情論的な側面の強さ

ジークアクスの全体的な印象は、論理より感情を優先したストーリーの作りになっているという点です。

1年戦争は対ジオン軍では地球連邦軍の方が物量的に圧倒しているために連邦軍が勝利したというのが根幹にあります。ある種のリアリズムです。

この作品の戦闘にはあまり意味はないのだと思います。

戦いの結果はマチュやニャアンの感情が決めている。

「機動戦士ガンダム」を見てほしいというメッセージ

鶴巻監督や庵野さん、榎戸さん達は、機動戦士ガンダムのストーリーに自分なりの答えを出しながらも、原作を見たことがない若い人にも一度見てほしいと訴えたのがジークアクスという作品なのでしょう。

その試みは驚くほど成功しています。

ガンダムを見たことがなくともなんとなく話題性から見て楽しめる作品を作り、マチュのようなキャッチーなキャラクターを主人公に据えることでハードルを下げる。

同時にストーリーが進むにつれて、「機動戦士ガンダム」やその後のZガンダムや逆襲のシャアといった作品が、ジークアクスにおいて重要度を増していく。

本当に上手くやったよなと思える。SNSで話題になっていたら皆が見てくれる時代。それを逆手に取って機動戦士ガンダムの魅力をアピールしている。

同時に富野由悠季からバトンを受け取る準備はできたという強い意思も感じました。

なんというか鶴巻さんや榎戸さん、庵野さん達は「富野さんのガンダムが好きだ」というのが強く伝わってくる作品です。

終わり方は皮肉にも感じられる

マチュはお尋ね者になってニャアンと共に地球にいるようなのですが、このあたりはあまりにも軽い扱いというか、そんな適当な世界観なの?と思えてしまう。

結局はジークアクスの世界はララァが作った”都合の良い世界”でしかないという皮肉を感じてしまうラストシーンです。

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